【インタビュー】15年の社会人野球生活を終えて / JR盛岡・寺田翼投手(盛岡第四高〜東北学院大)
JR盛岡野球部の寺田翼投手。
38歳を迎えた2024年シーズン、15年間の社会人野球生活にピリオドを打たれました。
ラストイヤーとなったシーズンも140km/h台の球速をマークしていた寺田選手。長くチームを引っ張ってきた寺田選手に、引退された「今」のお気持ち、そして学生時代から社会人野球生活までの「これまで」を振り返っていただきました。寺田さんのこれまでの取り組み、また社会人野球の世界が垣間見える言葉も。
インタビューを通じて、寺田選手の野球人生に少しだけ触れさせていただきました。
引退を迎えて
>>15年間の社会人野球を今シーズン引退された寺田さん。選手生活を終えられて、いま率直にどんなお気持ちですか?
率直にすごく充実してたなと。すごく晴れ晴れしてる気持ちですね。
もうちょっと寂しいかなとか、(好きな練習の)遠投ができなくなるのやだなとか、終わった後思うと思ってたんですけど、そんなこともなくすっきりしていますね。
>>名残惜しい感じもなかったのでしょうか?
まったくないですね。ちょっと自分でもびっくりぐらいの感じです。
>>いつぐらいから引退を考えられていたのですか?
去年の今ぐらいの時期ですね。あと何年くらいできるかなとか。
やろうと思えば40超えてもできちゃうんですよね。でもそこと、自分の伸び代をどうやって埋めるか、そしていわゆる強豪社会人と渡り合えるかといったところを照らし合わせてみて。
この1年に懸けて伸び代を埋めにいかないと、強豪社会人と戦うレベルにはないなというところでこの1年になりました。区切りを決めないと、なかなかハードなので。体もメンタルも。なのでこの1年、その代わり一点集中でぜんぶ注ぎ込むという気持ちでいました。
寺田さんの学生野球時代(高校野球〜大学野球時代)
>>寺田さんは学生時代もピッチャーだったのですか?
そうですね。高校ではピッチャーしつつ外野をしながらという感じでした。
>>高校時代はどんなピッチャーでしたか?
139までは出ていた気がしますね。(岩手)県営球場で投げるとテレビに球速が出るんですが、それが139でした。
>>大学でも野球を続けるのは自然な流れだったんでしょうか?
1個上の先輩が(東北)学院大に行ったのもあるんですけど、僕としてはぶっちゃけると、僕はもっといけるのにチームのせいで負けたという感覚もあったんです。もっと高いレベルでやれたらというようなエゴもあって(笑)
不完全燃焼ですよね。
>>大学に入ってからは、体力的・能力的に変わった点はどんなところですか?
ほぼ変わらなかったというのはありますね。
大学2年の時に142を出して、「伸びたな」とは思ったんですけど、大学2年の時に肘をやってしまって。春先にやったので、1年間棒に振ってしまって。3年、4年と上がっても肩肘の痛みはずっとあったので、パフォーマンスは上がらずでした。130後半は出ていたと思うんですけど、ほぼスライダーピッチャーみたいになっていました。
1年生の入った時からポンと出させてはもらったんですが、そのまんまの状態でほぼ変わらなかった感じですね。多少コントロールが良くなったとか、そういうのはあるんですけれどね。
>>大学野球となると、レベルの高い選手がよりたくさんチーム内外にいる環境になりますよね。
大学の2つ上に岸さん(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)がいたり。周りの選手たちもそうですけど球速が速いので。ピッチングをするというよりも球速を出さないとまず出れないというところに全振りした結果、うまくならなかった、自分を見失うというか背丈以上のことをやろうと思ってしまったというのがあるのかなと思います。当然福祉(東北福祉大)も150を投げるピッチャーがいますし。
社会人野球の世界へ
>>すごい環境だったんですね。大学卒業後に社会人野球をやるというのは、寺田さんにとって自然な流れだったんでしょうか?
この会社に入ると決まった時に、「ああ野球部あるんだな」とは思っていて。
大学野球の他の選手たちがスカウティングで企業チームに入っていくのをみていて、僕はその同じレベルにはないですけれど、彼らと大学で同じ舞台で戦っていたのになと思うところがあって。
入るまでは(JR盛岡が)どういうチームかも分からなかったんですけど、そこ(社会人野球)でまた戦えるのならやりたいなと思っていたので、じゃあやろうと。なので自然な流れというよりはたまたま偶然ありがたいことにという感じですね。
>>野球部ありきで入社したわけではなかったんですね。
そうですね。かといってクラブチームでやる選択肢もなかったですね。
>>社会人野球に入ってみて、それまでの大学野球とのギャップはありましたか?
その当時はフェズントっていうチームが強かったんですけど、そのフェズントをみても「あ、これなら福祉とかの方が強いな」と。やってみたら違ったところ、レベルが高いところはたくさんあるんですけど、大学でやってた相手の方が強いなと思っていました。あまり臆せず自信を持って入れたので、最初に面食らったということはなかったです。面食らうのはそのあと、だんだん感じてきた感じですね。
>>面食らったのはどのあたりだったのですか?
初年度とかは良かったんですけど、その後2年目・3年目と続けていく、同じパフォーマンスを維持していくっていう難しさが一つと。
東北大会とかで企業チームとあたったりすると、大学野球の上手い選手のさらに上の層だけが集まっているので。岩手で見るレベルではない人たち、僕が感じたことのないレベルの選手たちとやって、10点近く失点したり、大差で負けたこともありました。とにかくボール球振ってくれないなと。そこは全然違いますね。誘いに全く乗ってこなかったですね。
>>今年で15年の社会人野球生活の中で、20代からプレーして30代半ばを過ぎて、ピッチャーとしてのパフォーマンスはどんな移り変わりでしたか?
入社年度を基準とすると、31歳くらいまではだらだら下がり続けた感じだったと思います。31くらいがどん底でした。あと1年、32歳で10年表彰が来るなと思っていて、10年はとりあえずやるけれども、このままだと引退だと思っていたので。
そこからあと1年、やることやるかと思って、そこから筋トレを始めました。筋トレをして32~33歳で状態が上がってきて、いま38がこの辺りです。
(32~33歳のときより高いところを手で示されつつ👍)
>>そうなると22歳の頃より、38歳のシーズンだった今年の方が球速帯も速かったのでしょうか?
絶対速いです。
球質とか、まとまり感とかも含めてですね。
>>すごいですね。30代前半で取り組みをさまざま変えられたのですね。
そうですね。筋トレだけじゃなく(投球)フォーム、グラウンドでのトレーニング内容など全部変えて。
そこまでは僕も走り込みだったので。100mとか、ポール間走とかやってましたけど、多分その32~33歳以降はもう50mも走ってないですね。ダッシュ系では30m以上多分走ったことないくらいんじゃないかというくらいですね。シャトルランのような持久系は別でありましたけど。あとはメディシンとかですね。
フォームも全然違います。32~33歳くらいからですね。それまでは今見たらもう目も当てあれないような感じです。独自で僕なりに作ってきたけれど、物理的には間違ってるよねというような。
あと食事ですね。減量してみたり、タンパク質を摂ったり、トレーニング効果を高めるためのところですね。
▲寺田さんのインシーズンプログラム(2024)
>>素晴らしいですね!体力・技術面の変化、取り組みの変化を経ながら入社以来投げ続けてきたんですね。
入社年度からずっと投げさせてもらってたんですけど、初年度で日本選手権の岩手予選というのがあって、そこではフェズントに勝って優勝して。ですがそれ以降は優勝だったり、「フェズントに勝つ」ということから遠ざかってしまって。
そこからフェズントはなくなってトヨタ(トヨタ自動車東日本)ができたんですけど、トヨタに勝ったのが2020年。4年前の34歳のシーズンでした。その年の都市対抗の岩手予選決勝でも1-2(敗戦)でしたけど競ってこれたので。
優勝した大会は全部先発させてもらってるんですけど、一個目と二個目の間はかなり空いていて。初年度と34歳のときなので、間が12年くらいかかってる感じです。そのあと2022年の定期リーグ戦で勝たせてもらって。その年にベストナインをとらせてもらって、今思うと、それもたった2年前なんだよな?みたいな感じです。
そう思うと30代に入ってパフォーマンス下がって、そこから上がって、今年ちょっとだけ下がったかな?とは思いますけど、そんな感じですね。
>>なるほど。対戦するチーム、自チームも含めて選手も入れ替わったりしてきたと思うんですが、寺田さん自身の15年間の社会人野球で、印象に残っているシーンや試合はありますか?
一つ目は、その2020年のトヨタにアマ王で勝った試合ですね。これはトヨタに延長で勝って優勝したっていうのがあるんですけど、ピッチャーは僕が先発で行って、そこから2人のピッチャーが繋いだので。前の優勝から10何年と空いていたので、そこに勝ったことでやってきて良かったな、というのがまず一つ。あとはバッター陣もすごく頑張っていたので。あの時のチームってすごくいい状態だったなというのがありました。
二つ目は、2020年の都市対抗の二次予選、福島でやった時ですね。コロナで観客もいなかったんですけど、ピッチャーが僕ともう一人しかいなくて。僕が先発して1試合目は完投したんですけど、次の日も投げなきゃいけなくって。中1日でまた次も投げなきゃいけないっていう苦しい中だったんですよね。
◆寺田さんの2020年都市対抗二次予選。タフな日程の中4試合で351球を投じた
・10/6 完投 124球 vs富士通IBBC(福島県)
・10/7 救援 86球 vsJR東日本東北(宮城県)
・10/9 救援 41球 vs水沢駒形(岩手県)
・10/12 先発 100球 vs日本製紙石巻(宮城県)
かなり苦しかったんですけど、僕と臨んだもう一人の後輩ピッチャーが、大会中のある試合で「この試合は俺が投げなきゃいけない」「(寺田さんを)投げさすわけにはいかないから、絶対準備しないでください」みたいなことを言ってくれたことがあって。苦しい中で頑張ってる選手もちゃんといるなっていうのが嬉しかったですね。
結果は最後日本製紙石巻(宮城県)に負けちゃいましたけど、試合というよりあの大会はピッチャー陣で、そして野手陣も含めてチームで戦っているなという思いがありましたね。
◆日刊スポーツ記事 / JR盛岡・寺田が完投「有給取った。明日も投げる」(2020.10.6)
https://www.nikkansports.com/baseball/news/202010060000789.html
なんであの大会かというと、一次予選は僕投げさせてもらえなかったんです。大事な場面で。先発した後輩がバテてきていて、「俺ら来るぞ」とブルペンで準備していたんですけど、結局先発の彼を引っ張って失点してしまったことがあって。
でもこの負けは、ブルペンの信頼のなさだ、ベテランの俺らが何やってるんだ、二次予選は俺らが頑張んないと勝てないという思いになりました。そんな中で一次予選に投げていたピッチャーたちが車掌研修で二次予選はいない状況になって。
二次予選まで2週間くらいしかなかったですけど、とにかく奮起して、信頼勝ち取るしかないぞと自分のお尻叩いて、それで上手くいったというのがありましたね。
>>一次予選の経験があってからの二次予選、重要なシーンになった大会だったんですね。
あれをきっかけに、僕も、一緒に二次予選に挑んだもう一人の彼も、ピッチャーとして上げていけた感じですね。次の年も。思い出になっている契機ですね。
若かったら監督たちのせいにしていたと思うんですけど、投げさせてもらえないのは信頼のなさだ、結果示すしかないと思えました。
>>そんな中、ラストシーズンになった今年は登板機会は2年前、3年前と比べると減ってきていたのでしょうか。
かなり減ってますね。オープン戦は投げてますけど、公式戦だと都市対抗一次予選のほんとに最後ちょこっとと、あとは最後の登板になったアマチュア王座で投げさせてもらったくらいで。都市対抗二次予選で投げてないということが今までなかったので、入社以来初でしたね。
>>そうだったのですね。私たちはジムでの寺田さんをみていると、登板数が減っている中でも、例年の体づくり・トレーニングのリズムは全く崩れていない印象でした。そこのモチベーションの維持ができていたのは、やはりラストイヤーというのも大きかったのでしょうか?
いや、多分そうじゃなくても同じ準備、ベストな準備は必ずしていたかなと思いますね。普段の練習もそうですけど、早く行ってストレッチ、ポール、フォームローラーやったりっていうルーティンは変えていなくて。それで上手く行った経験があるので、できる準備はやっておかないとというのはありました。
>>それがラストイヤーだからというわけではなく、今までのキャリアの中で変わらずやられてきたことだったんですね。
準備しないと、もし「行け」と言われたときに全くパフォーマンスが出せないのはやってる意味がないので、(チャンスが)来たらちゃんと期待に応えられるようにと思っていました。
>>社会人野球をスタートしたきっかけには「偶然」も大いにあったと伺いました。そんな中でも15年間、これまでコミットして続けてこられたんですよね。やっぱり社会人野球、やられて良かったですか?
やってよかったですね。
入ってた時から、野球を”やらせてもらっている”というのを思っていました。ともすれば何にもない人間なので、野球できる場所はなかったはずなのに、しかもお金もかかる中で野球をやらせてもらっているっていう幸せがあったんですけど。
だんだんにこう、会社の看板を背負う嬉しさと重さを感じながら、だけどこうやればやるほど周りに人が増えて来ていました。選手たちもそうですし、応援してくれる人たちに応えられるのってこう「プロ」みたいな。そんな感覚を味わったりもしました。プロではないけれど、会社の人から応援してもらえるって結構すごいことだと思うので。
あともう一個は、学生の時はそんなになかったんですけど、今はいい三振がとれたとか優勝できた時に心からガッツポーズができるっていうのが。
このガッツポーズって、もうする場所ないよねと思います。たとえばこれからも何か嬉しいことがあったとしても、心からこんなにガッツポーズすることはないよなと思うので、いい経験させてもらいました。
ジムで重い重量持った時も、心の中ではガッツポーズしてますけどね!よしよしと。(笑)
https://x.com/terata_5283?s=21&t=nxJnxNANHUfHFuFwjeZ8Rw
◆2019年から始められたという寺田さんのX(旧twitter)。コロナで採用人数が減ることもあった中、ご自身の世代を「踏み台」にしてもっといい選手がチームに入ってくるように、そして少しでもチームや社会人野球界が注目されるようにとの思いがあったそうです。
社会人野球を続ける意義・魅力とは
>>最後にお聞きしたいことです。野球に打ち込んできた方には、学生野球で選手としてのキャリアを終える方も多いと思います。そんな中、今の寺田さんからみて、学生野球を経て社会人野球をやる意義はどんなところにあったと思われますか?
たぶん高校とか大学とかでやられている方って、情熱を持って今野球をやっていると思うんです。僕自身も当時情熱はあったとは思うんですけど、今思うのは、僕の選手としての完成形を知りたかったんですよね。投手・寺田翼ってのがどこまで行けるんだろうと思って、それがプロではないかもしれないけど、その余白を埋めたいというのはありました。
俺ってどういう存在で最後選手として終わるんだろうというのは知りたくて、それを知る機会は多分ここ(=社会人野球)にあると思うんです。これはクラブでも構わないと思います。自分の選手としての完成形を知るチャンスはここにあると思うので、もし情熱があるのであれば、学生さんには「最後、自分の完成形を知ってみない?」って誘うと思います。
あとは、すごい有名な選手と対戦できるというものありますね。全国で名を馳せたアマチュアのスターたちと対戦ができてしまう、これも一つの魅力だと思いますね。すごい選手とも対戦ができるし、自分の完成形が見れるよというところだと思います!
インタビューはここまでです。
寺田さん、お時間をいただきありがとうございました。
この秋に引退されたばかりの寺田さん。
「この日もこの日もお酒飲めるな」「明日こんな寒いのに7時半にグラウンド行かなくていいんだ」とふと思うこともあるそうでした。
寺田さんの最終登板は今年10月のvsトヨタ自動車東日本、花巻球場にて。最後のマウンド姿を見れたこと、心から嬉しく思います!寺田さん、15年の社会人野球生活、本当にお疲れ様でした!