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【2022春・新天地へ】アスリートインタビュー#1 川村咲郎選手(硬式野球 / 盛岡第一高→筑波大)

[2022.03.16]

この春から大学へ進学し、新たな環境でスポーツに打ち込むアスリートの「これまで」と「これから」に迫ったインタビュー企画。第1回の今回は盛岡第一高校硬式野球部出身で、今春から筑波大学(首都大学野球連盟)へ進学する川村咲郎選手に話を伺いました。

 

 

>>まずは筑波大学合格、おめでとうございます!長らく前から目標にしていた進路ですね。

 

川村:ありがとうございます。そうですね。高校3年間はずっとその目標でした。

 

>>高校野球の話も聞いていきたいんですが、まずは野球を始めた頃の話から伺っていきたいと思います。初めて入ったチームはどこでしたか?

 

川村:小学校3年生の時に盛岡南リトルに入りました。

 

 

>>高校ではずっと内野手、主にショートを守っていましたが当時はどんなポジションがメインでしたか?

 

川村:全部やりました。その時は父がコーチ、監督をしていたのですが、いろんなポジションをやっておいた方がいいという考え方で、自分だけでなくチーム全員がいろんなポジションをぐるぐる回してやっていました。

 

>>小中学校の時はどんな活躍ぶりでしたか?

 

川村:リトルの時はかなり活躍していた方だと思います。県内の一番大きいリーグ戦で、4試合勝てば優勝だったんですが、そこで5ホーマー打ったりしていました。ピッチャーとショートがメインで、あとはいろんなポジションをやっていました。東北大会でも優勝することができました。

 

 

>>そのあと、盛岡南リトルシニアに入団していますね。

 

川村:そうですね。南シニアは自分たちが入る時には選手がいない状態で、空のチームだったんですけど、リトルのみんなでそこに入って一から作れたら面白そうじゃないかという話になって。自分たちの学年で12人が南シニアに入りました。

 

>>シニアではどうでしたか?

 

川村:最初の一年はもちろん全然勝てなくて。

 

>>1年生だけのチームということ?

 

川村:はい。普通に相手は2・3年生が出てきて自分たちは1年生だけで闘っていたので、全然勝てなかったんですけど、それでも楽しかったです。上の学年になっていった時には力がついて、少しずつ勝てるようになっていきました。

 

>>シニア生活で技術面で伸びたところはどんなところですか?

 

川村:一番は守備ですね。守備に興味を持つようになったのがシニアの時でした。小学生のころはバッティングで遠くに飛ばすことだったり、速い球を投げることばっかりに興味を持っていました。シニアの頃には守備での「当て捕り」みたいな技術のカッコよさとか、グローブの作り方とか、そういったところを考えるようになりました。

 

あとは体力的には伸びました。父の考え方が、中学校で成果を出すんじゃなくて、高校で活躍してほしいということだったので、細かいチームプレーやサインプレーに時間を割くのではなくて、フィジカルの練習や遠投だったり、ダッシュを結構やっていました。そこはすごくよかったんじゃないかと思っています。

 

>>3年間で印象に残っている試合はありますか?

 

川村:今でも思い出せるのは、相手が3年生チームのなか自分たちが1年生だけで臨んだ最初の選手権(毎年6月頃県予選を開催、全国大会へつながる大会)ですね。1回戦でコールド負けをしたんですけど、自分が確か4安打できて。チームの全安打を自分が打つことができました。それもあって、その試合で初めて個人として新聞に名前が載ることができて、それはうれしかったです。

 

 

▶︎主将としてチームを束ね、ショートとピッチャーを中心にプレー。力を磨いたシニア生活だったが、3年生の最後の大会では同じ岩手県のチームに敗れ、悔いが残ったという

 

>>その後、高校の進路選択の時期に入っていきますね。

 

川村:はい。当時は盛岡大附属と盛岡一高で迷いました。ずっと小っちゃい頃から甲子園で野球したいというのがあって、盛附が一番自分にとって近い存在でした。かつ自分の先輩の大里昴生さん(盛岡大附→東北福祉大→現・オリックスバファローズ)が盛附で活躍していてカッコいいなと思っていましたし、盛附にいきたいというのはずっとありました。

 

最初は父が盛岡一高という選択を教えてくれて。シニアの監督さんからも、一高で野球をやることが自分にとって一番価値があることなのではないかという話もされて。正直それまでは一高という選択肢は考えていなかったんですが、シニアの頃から活躍を知っていた先輩方もいましたし、2009年夏の岩手県大会決勝の試合(花巻東 2-1 盛岡一高)の映像を見たときに鳥肌が立って。一高に行こうと思いました。

 

 

>>その後盛岡一高に進学して、1年春からメンバーに入っています。春の地区予選ではピッチャーとして登板することもありましたね。

 

川村:盛岡大附属戦ですね。最初、入ってすぐレギュラーになったんです。先輩の調子が悪かったのもあってポンとセカンドに入ったんですが、やっぱり高校野球ってプレッシャーが違くて。シニアの時は楽に守れていていいプレーができていました。高校でも最初は良かったんですが、プレッシャーみたいなものをすごく感じて徐々にイップスのようになってしまって。それが最初の思い出ですね。あとは上級生中心のメンバー構成の中で、最初自分は声の枠だと思っていました。

 

>>1年秋から3年夏までショートを守っていました。守備の面で成長したところはどんなところですか?

 

川村:”試合で”ボールが捕れるようになりました。低学年の頃は練習ではボールが取れていたんですけど、公式戦で緊張してエラーとか、体が動かなくて送球ミスとかがあったりしました。最後の夏は「俺が一番うまいんだ」と思ってやれる自信がついて守れたので、そこは成長したことかなと思います。

 

>>いろんな試合があった中で印象に残っている試合はありますか?

 

川村:嫌な試合の方で言うと、1年の秋にこれで勝てば21世紀枠(春の選抜甲子園)があると思ってベスト4を懸けて臨んだ盛岡商業戦(2020年秋・岩手県大会準々決勝)です。1-4で負けたんですけど、2失点目のきっかけになるランナーを出したのが自分のエラーでした。それが今でも後悔しています。たかが一球なんですが、あの先頭バッターをアウトにしていれば、21世紀枠があったんじゃないかなって自分で勝手に思い続けていて。そこで勝てば岩手県内の推薦枠には選ばれたと思いますし、もし東北大会に行けていたらと思うと。あんまり目立ったミスではないかもしれないですし、覚えている人はいないかもしれないんですけど、最後の最後まで後悔しています。

 

良かった試合で言うと、2年秋に盛附に勝った時(2020年秋・盛岡地区大会決勝)と、3年夏に久慈高校に勝った試合(2021年夏・準々決勝進出を決めた試合)はたまに今でも夢に出てきますね。あの試合は本当に全員がチームの勝利だけを考えていた2試合だったと思います。本当にそこだけ、みんなで同じとこだけガッと見てやれていたベストの試合があの2試合だと思います。自分がアウトになっても、ミスをしてもチームが勝つためにはどういう声かけをしたらいいかとか、自分の雰囲気がチームに影響するというのをみんな考えていましたし、みんな自分の結果じゃなくチームの結果を考えていました。あの試合は最高でした。

 

 

>>咲郎選手は最終学年でキャプテンを務めています。どんなことを意識していましたか?

 

川村:最初高校に入った時は自分は甲子園に行きたくて、盛附に勝ちたくてきたんですけど、全員が全員そのモチベーションであるわけではなくて。それぞれにいろんなモチベーションがあるのはわかっていました。ただ、公立最強になったり、私学に勝つためには全員がやっぱり同じ方向を向かなければ絶対勝てないので。「勝とうぜ」という渦にチームのみんなを巻き込んでいけるように、低学年の頃から下積みをしていたのは良かったと思います。

 

>>どんなふうに巻き込んでいったのですか?

 

川村:チームの全員に声をかけるようにしました。主力で固まって練習をしたり、主力だけでミーティングをするのではなくて、自分はなるべく全員でやるようにしました。全員で目標を持って、全員に声をかけるというところは頑張りました。

 

 

>>進路は筑波大学に決まりました。高校の早い段階から目標にしていたと思います。

 

川村:今の自分を形作っている大きな要因はやっぱり野球、そしてそれを通じて広がっていった人間関係だと思っています。自分は将来野球と関われる仕事をしたいと思っていて、それを思ったときに教員という道が一番身近で、野球を教えたいという気持ちもありました。そういった道を考えたときに、筑波大学の体育専門学群が日本でトップクラスの環境で充実した生活が送れるというのを知って、自分にはここがぴったりだなと思っていました。

 

 

>>受験で合格するにあたって相当勉強が必要になると思います。現役時代は野球と並行して、勉強をどのように行なっていましたか?

 

川村:それでも日々の生活の中で野球にウェイトを置いていたのは間違いないです。ただやっぱり勉強もしなきゃいけないのは分かっていましたし、監督からも試験でとらなければいけない点数は教えていただいていたので、特に冬の時期とテスト期間は頑張って勉強しました。

 

高校野球で後悔を残すと、その後の受験勉強にきちんと向かえないと思ったので、まずは現役時代に野球をやり切ること、そしてその後の時間でしっかり勉強するというスタンスでした。トータルで高校生活を見たときに、野球もして勉強もして、という文武両道という点では県内では一番やっていたんじゃないかなと思います。そういう意味で自信はありました。

 

>>どんな大学野球にしたいと考えていますか?

 

川村:やっぱり自分はまずハッスルでアピールして、「チームに必要だな」「ベンチに入れたいな」と思ってもらえる選手になりたいです。プレーの面ではアルトゥーべ(MLBヒューストン・アストロズ)みたいな、小さくてもホームランを打てるような選手を目指したいと思っています。

 

チームとしては神宮に行きたいです。自分は小・中・高と正式な全国大会に出たことがないんです。大学では出たいと思っています。あとは、勉強・研究したことを部活で実践できるのが筑波大学だと思うので、自分の身体を使ってリンクさせていきたいです。

 

 

咲郎選手、ありがとうございました。キャプテン、そしてショートとして盛岡一高の2年連続夏ベスト8を大きく牽引した咲郎選手。持ち前の高いポテンシャルと、人を巻き込む・引っ張っていくそのキャラクターで充実した大学生活となることを祈っています。これからも岩手から応援しています!

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