【アスリートインタビュー】河内山拓樹選手、海外野球トライアウトへ!
昨年のプレオープン時からジムに足を運んでいただいた河内山拓樹選手。数年間プレーした日本の社会人野球からステージを移し、今年2月からアメリカでのトライアウトに挑戦されます。いつも自分の身体や理想のパフォーマンスと向き合い、それでいて常に謙虚な姿勢の河内山選手から私たちが教わったことはたくさんありました。
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今回はそんな河内山選手に、海外挑戦をめざしたきっかけや、今までの選手としてのキャリアについてインタビューしてみました。
①海外挑戦について
◆社会人野球を経て、海外挑戦を決めたきっかけはなんでしたか?
納得してプレーヤーを引退したいという事、プレーヤーを終わった後も野球と関わっていく事を考えてです。僕は野球のエリート街道を歩んできていない人間なんですが、その中で色々なきっかけがあって球速が上がってきたり、幸運なことに体も大きくなってきて。
そして今まで「自分の能力を上げたい」というモチベーションでやれてきていたところが大きく、環境をガラッと変える事での自分の変化に期待して海外に行ってみたいと思うようになりました。
▲河内山選手が2月下旬から所属する「アジアンブリーズ」
◆迷いはなかったですか?
選手としてやりきりたいという気持ちがあって、退路は断ちたいと思いました。選手としても、人としてまたゼロからスタートするのも成長に繋がるのかなと思っています。今はここからもう一つパフォーマンスを高い水準に持っていける可能性を感じています。
②学生時代について
河内山選手は岩手の学生アスリートたちにとっても目標やお手本となる選手の一人になっていくと思います。今回は河内山選手の学生時代のことも聞いてみました。
▲盛岡姫神シニアでのピッチャー陣指導
◆小、中学生の頃はどんな選手でしたか?
その頃は体がまず小さかったですね。中1の頃は身長が140センチ台くらいで、中3の頃に割と伸びて、170センチ行かないくらいまで伸びました。今は183センチなんですが、一昨年くらいにようやく止まった感じですね。当時はピッチャーもしていましたけど、セカンドとか、内野手もやっていました。
◆その頃はケガの経験はありませんでしたか?
自分は中学校2年生で肘をケガしてしまって。お医者さんからも野球を続けるかどうかを考えないといけないと言われるくらい状態がひどくて。一時期はシャンプーもできないし、顔も洗えないような感じでした。高校野球できる体じゃないと思っていましたし自信もなかったので、その時点では高校でも野球を続けるかどうか迷ったくらいでした。ただ、親の支えもあり、怪我も回復して身体も大きくなりました。
◆ちなみにその中学の頃のエースが、菊池賢汰トレーナーなんですよね?
そうです!賢汰はすごかったですね。一人だけ木製バットを使ってたし、意識が高かったですね。
(BLUE8菊池トレーナーと河内山投手は中学時代の同級生)
◆中学や高校の頃から、大学に入っても野球を続けようと思っていたんですか?
最初からそういうわけではなかったです。高校の頃は肘が少し良くなって、ピッチャーもできるようにはなっていました。それでも正直甲子園もどこか遠い世界の話のような気もしていて。選手として強豪チームに入りたいとか、自分はそういうレベルではないと思っていました。
それよりは自分の能力をどれだけ上げられるか、今のパフォーマンスをあげるにはどうしたらいいのか、という方に興味がありました。中学、高校と指導者がそういった思考にも肯定的で恵まれていて、そこが大きかったと思います。
③パフォーマンスが上がったクラブチーム〜社会人野球時代
◆オール江刺に入ってよかったことは何かありましたか?
学生野球だとほぼ同年代の選手としかプレーしないと思うんですが、オール江刺だともう学生野球を終えて社会人をしながら野球をやっている方ばかりだったので、色々な面で得るものは大きかったと思います。
1年目2年目、4年目にクラブ選手権に出ることができて、最後の4年目には先発として投げさせてもらいました。箕島球友会や大和高田クラブといった、全国の強豪クラブチームから学ぶことも多かったです。
◆印象に残っている試合はありますか?
難しいですね...
4年目のクラブ選手権岩手予選の決勝の水沢駒形戦で完封した試合ですかね。何年もずっと水沢駒形と江刺が決勝を戦っていたんですが、その試合で完封できたのは印象に残っていますし、感情が出た試合でした。
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全日本クラブ野球選手権 県予選 オール江刺V/岩手(毎日新聞
◆オール江刺時代に球速が上がったと聞きましたが、その要因はなんでしたか?
オール江刺1年目の冬(大学1年)に仙台の投球動作指導の施設「BCS」の方に何回か通っていて。一冬教えてもらったドリルを毎日3~4ヶ月くらい続けていたら一気に球速が上がって。130キロ台前半から140キロ台前半まで、ひと冬で一気に10キロくらい伸びました。
ただ、変わり方が良くなかった感じがします。球速は上がったんですけど、また肘を痛めてしまいました。ほとんど動作ドリルだけで球速が上がってしまったような感じで、精神的にも自分の中で勘違いをしたところもあって。
徐々にボールを投げていく中で速くなっていったというより、一気に上がってしまった感じなので、身体が追いつかなかったのかなと思います。ケアやモビリティドリルだったり、フィジカルトレーニングはゼロではなかったですけど、今思えば全然足りていなかったと思います。
▲昨年末のセミナーでJクラブアスレティックトレーナーの板垣氏が紹介された「円」のモデル
この図で言うと、正しい動作が出来ていたとして、例えばウェイトをやって筋力が上がってその分の円周が増えたとしたら、同じ動作をしようとしても感覚や動作そのものが変わる事があります。その動作に行き着く要素は一つではありませんが、そこにどう対応するかというところもあると思います。
◆JR盛岡に入ってから力を入れてきたことは何かありましたか?
JRに入社してからは体を大きくしました。入社当時は70キロくらいの体重だったんですが、20キロ近く増えたと思います。チームのトレーナーの方の指導もあって柔軟性であったり、バランスの部分のトレーニングは繰り返しアドバイスいただいて、いろんなバリエーションでずっと取り組んできました。
◆今後はトライアウトに向けて、どういったところに注力していく予定ですか?
1月から渡米までの間は関東を拠点にして、ご縁がありNEOLABの内田さんに指導をして頂き、トレーニングも一緒にさせて頂いています。フォームの見直しや、これまでも取り組んできているモビリティ系・瞬発系・プライオ系に加えて、身体操作系のトレーニングも取り入れています。
2月下旬から渡米してトライアウトが始まるんですが、その前にはアリゾナにあるArsenalという投球動作指導の専門施設にもいく予定でいます。トライアウトで勝ち抜くのももちろんですが、自分の能力を追求していくというのは変わらずに、そこで挑戦できる一番高いレベルのカテゴリーでプレーすることを目標にしたいです。
◆岩手の学生野球選手に向けても、何か一つアドバイスをいただけますか?
今の時代は調べれば自分でどうにでもできる時代で、逆に言えば言い訳ができない時代にもなってきていると思います。情報を如何に使うか。これは子どもだけでなく、指導者にも求められる事だと思いますが。
そして、場所や環境など自分の力で変えることが難しいことに労力を使うのではなく、どうやったら上手くなれるかと言った自分の頑張りで変えれる事に目を向けて欲しいですね。野球に限らず、身体を思いっきり動かせる時間はそう長くはなく貴重だと思います。ぜひ今の限られた時間や環境で突き詰めて、その成長していく過程や自分の変化にやりがいを感じれたら、もっと楽しめるんじゃないかと思います。
河内山選手、ありがとうございました!
ここの記事に収まらないほど、インタビューではいろんなことを教えていただきました。BLUE8でのトレーニングのフィードバックもいただいたので、そちらも後日アップさせていただきたいと思っています。
河内山投手が2月下旬からのトライアウトで所属する「アジアンブリーズ」では、MLBロサンゼルス・ドジャースやクリーブランド・インディアンス、秋山選手が移籍したシンシナティ・レッズとの対戦も続々決まっているようです。
現在は渡米に向けて拠点を東京に移して準備を進めている河内山投手。岩手の選手が目標とするモデルの一人になっていくんじゃないかと思っています。河内山選手の活躍、そして選手としてのキャリアを岩手から応援しています!
◆2020/9/3(木)追記:
【プロ契約締結のお知らせ】
— Asian Breeze / アジアン ブリーズ (@breeze_asian) April 4, 2020
オランダ??のチームと契約致しました。
#13 河内山拓樹(24)@Jpjca1eX ⁰契約先オーステルハウト・ツインズ⁰監督: ジェフリー・アレンズ
新型コロナの影響により、シーズン開幕の目処が立っておりませんが、開幕に向けて準備をして参ります。https://t.co/nJ7p4HcM4V
▪️河内山拓樹(こうちやま・ひろき)/ 投手
岩手県奥州市出身。岩谷堂高卒業後、岩手県立大在学中にオール江刺に所属し、全日本クラブ野球選手権(西武プリンスドーム)に3度出場。大学卒業後はJR盛岡野球部でプレー。PB: 147km/h。2020年冬にアメリカでのトライアウトに挑戦し、オランダリーグ「オーステルハウト・ツインズ」と契約。2020年7月よりさわかみ関西独立リーグ所属「堺シュライクス」にてプレー。2020/8/22の兵庫ブルーサンダース戦にてノーヒットノーランを達成。